鬼押出し熔岩の出現(仮説)

 

吾妻火砕流と同時に火口北斜面から大量の液状マグマが一度にどっと流下し、前掛山の縁にブロックされたため、ほぼ真っ直ぐに流れた。熔岩流の両サイドに堤防が形成され、堤防は緩斜面になるに従って太くなり、そこから徐々に熔岩が固結し始め、敷石状となった。中央を流れた液状マグマは柳井沼近くで止まり、付近は熱湯に変わった(火砕流は起きなかった)。

火口北東へ流れた液状マグマは斜面の傾斜が緩やかで流れ方が遅く、徐々に固結し始めた。

 

液状マグマの流出が終わると、すぐにプリニー式噴火が始まり、マグマだまりにあった半固結状態の熔岩が火口北斜面から流出した。塊状熔岩はその重みで徐々に下っていった。北斜面に液状マグマが覆っていたので、火砕流は生じなかった。塊状熔岩は前掛山の縁と熔岩堤防にブロックされたため、熔岩流より外へは流れなかった。塊状熔岩は次々と熔岩流の中央部を流れ、熔岩は緩斜面(標高1400m)の柳井沼近くで止まった。火口から流出した熔岩は次から次へと緩斜面に向かって流れ、集積するようになった。熔岩流の中央部も徐々に冷えてきたため、熔岩落下の速度が速まった。緩斜面の熔岩がかなり高く積み重なると、急斜面にも止まるようになり、大量の熔岩は、急斜面では30から40mの高さになった。熔岩全体が重くなりすぎ、静かに下り始めた。

 

8日午前10時頃、地殻変動が発生し大きな震動が起きた。これは噴火によるものでなく、マグマだまりが空になり、集積した大量の溶岩塊の重みとのひずみにより生じたものである、そのショックで浅間山斜面に堆積していた大量の塊状熔岩が表層なだれを起こし、大轟音とともに柳井沼に向かって落下した。その際大量の泥が吹き上げられ、上州まで降り注いだ。沼地の地盤が弱く、大量の熔岩は幅500m、長さ2km、深さ50mほどの広範囲の土砂を掘り起こした。その衝撃が余りにも大きく、塊状熔岩の一部が剥離し、熱湯、、地下水、土砂とともに土砂移動を起こし、泥流となって吾妻側に向かった。巨大なくぼ地に入りきらない熔岩は周囲に流れた。

 

 

押出しにより出来た熔岩末端崖(鬼押出し園)