鬼押出し熔岩のナゾにせまるー熔岩堤防が物語るー

 

天明三年の浅間山大噴火により、鎌原村は土石流で埋没し、大量の熱泥流が吾妻側に流入し、利根川に洪水を引き起こし大災害になった。その当時の噴火の様子は多くの古文書に記録されているにもかかわらず、この大災害の引き金になった大量の鬼押出し熔岩に関する記述は見られない。いつ、どのように熔岩が流れ出したかはナゾとなっている。土石流の被害があまりにも大きかったため、鬼押出し溶岩が注目されなかったのか、誰も見ていない時に溶岩流がこっそりと火口から出てきたのか。

 

従来の学説は、山頂火口の地下深所のマグマだまりに通ずる火道の壁に付着していた半固結状態の熔岩が、最後の大噴火の際に引きちぎられて大岩塊となって、火口から噴き上げられ、その大岩塊はほとんどが、浅間山北麓の斜面に落下し、付近の土石を巻き込み、一団となって雪崩のような状態となって、高速で流れ下った、というものである。

 

しかし最近の考え方は、前日(7月7日)の夜から始まったプリニー式噴火により、火口周辺に火砕物が堆積し、熔結した火砕物(火砕性熔岩)が流れ出した。8日午前10時頃、中腹の凹地附近で大きな爆発があり、前日から流れていた火砕性熔岩の一部が巨大な岩塊となって北麓の土砂を掘り起こし、土石なだれとなって鎌原村を埋没させ、大量の泥流が吾妻川に流れ込んだ、という。

 

今回私は熔岩堤防を観察して、新しい知見を得る事が出来た。

 

熔岩流は2本ある。西側は熔岩流が北斜面に向かって真っ直ぐに流れている。熔岩堤防は熔岩流の中央部が流れ去って、両端の部分が固結(冷え固まること)して堤防状に残ったものをいう。熔岩流の中央部には多数の縦溝(熔岩流が固まるときに出来るクレバスとは異なり、熔岩塊に削られたと思われる跡)を認め、その斜面は凹凸がありでこぼこしている。この所見は熔岩塊の堆積物が表層なだれを起こして落下したようだ。一方、東側は北東方面(黒豆河原方面)に流れ、山の中腹から山麓にかけて熔岩が徐々に固結し敷石状(熔岩じわ)となっている。

今回私が観察した熔岩堤防を調べると液状マグマが、浅間山山頂から真っ直ぐに高温融解体状態で下ったことがわかる。これは山頂から流出したマグマが前掛山の縁にブロックされたためで、浅間山斜面をかなりのスピードで流れ、堤防の高さは3から4メートル位と考えられ、かなり大量のマグマが山麓に向かって流下している。

一方、浅間園や鬼押出し園の熔岩は殆どが岩塊で、熔岩堤防のように連続したものは見られない。熔岩塊は黒褐色で形の整った安山岩が多く、所々に熔岩が盛り上がったものや、巨大な岩塊も混在する。また表面が平滑で灰色の火山岩が広範囲に分布している所もある。浅間園西側の熔岩海の深さは40から50メートル位あり、想像を絶する多量な岩塊が火口から流れ落ちた事がわかる。

 

 

熔岩末端崖(鬼押出し園)

パン皮状火山弾(プリンスランドゴルフ場)